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第2回MSMI国際セミナーでの基調演説(02)

2013年10月18日、ソウルで開催された
第2回MSMI国際セミナーでの基調演説(郭錠煥)
文鮮明先生の摂理史観と天一国創建時代の歴史認識

先回からの続き▼▼

 2. 復帰摂理は再創造摂理

神は、本然の父母を捨て、偽りの父母であるサタンに父母として仕えるようになったアダム とエバ及び人類を絶滅させて、新しい人類を創造するという選択肢もありましたが、
神は決してそうすることができませんでした。
神は、人間を神の真の愛の子女として創造されたために、誤ったとしても、真の愛の子女を呪って全滅させることはできないのです。
神は、父母の心情と責任によって、
人間が神と本然の血統的・心情的関係を回復するように、
背後であらゆる摂理的な精誠を捧げられたのです。
堕落した人類歴史の背後で成される神の精誠と努力は
神が愛の対象である被造万物と人間を創造する時に成された精誠と努力とは
比較にもならないほど甚大なものであり、
正に神の再創造の役事だと言うことができます。

神の再創造の復帰摂理歴史において、
人間自身の責任を通して再び神の子女の立場を復帰しなければなりませんが、
この為に立てるべき条件が即ち蕩減条件なのです。

偽りの父母であるサタンは
本来の父母を探し求めようとする人間を妨害しますが、
神から受け継いだ本然の心である本心の根を持っているために、人間は結局、
自ら蕩減条件を立て神の真なる子女の立場を回復する道においてのみ、本当の幸福を感じるようになります。

このように神の摂理を理解すれば、
歴史の流れを神の創造と人間の堕落、
そして神の再創造過程における人間の責任分担を通じた再創造歴史の認識が即ち、
蕩減復帰摂理観になります。

神の復帰摂理は天道によって必ず成就するようになります
しかし神の復帰摂理の完成である地上・天上天国がいつ、そしてどのように成されるかに対しては、神を信じる信仰者たちでさえ数多くの主張と疑問があったことは事実です。

ある人々は神の審判が近づいたと主張したり、
またある人々は天変地異が起きて神が審判されることによって、救援された者は天に引き挙げられ天国が成されるという主張をしたりします。

ところが、文総裁は2つの点を明確に語られました。

復帰という言葉は、本来の位置に単純に戻ることだけに留まるのではなく、
戻ったその位置から神の創造理想を実現していく成長過程の責任分担期間を経て、人間が完成することによって、神の創造目的を成すようになると語られました。

総裁のこのような摂理観は、真に独歩的であり、
神と人間の為の希望のメッセージです。
神を全知全能の存在とだけ見なし、その権能によって一瞬で終末がもたらされ、瞬く間に途方もない変化が起きると言う人が多いですが、
神が経綸してこられた宇宙創造と現象を見ると、それは大きく誤った見解です。

統一原理によれば、
全ての宇宙現象が成長する為には必ず時空間の過程を経てこそ、その結果を得ることができます。

統一原理の用語で説明するなら、
全ての存在様相は蘇生期・長成期・完成期の成長過程を経て完成するようになるのです。

ところが人間は、長成期完成級で堕落したために、
落ちたその位置に復帰した後に、
再び完成期の成長期間を経て完結しなければなりません。

結論付けるなら、堕落した人間は蕩減条件を自ら立てて蕩減復帰し
その次に人間自身の責任分担として人間始祖が残した成長期間である完成期の過程を通過してこそ、神と人間が願う理想天国が実現します。

結局、人類は蕩減復帰摂理歴史過程
その次の天国実現の為の完成期の過程を経なければならないのです。

文総裁は先ず、自ら個人的次元で家庭的・氏族的・民族的・世界的次元の蕩減復帰摂理の道に責任を負った神の長子の立場で歩み、その次に、本然のアダムの立場で全ての人類の模範として生涯を経綸してこられたのです。

その方が歩んでこられた道は、人間始祖のアダムとエバが歩まなければならなかった道であり、誰も歩んだ歴史的事例のない開拓の茨の道でした。

よくご存知のように、総裁は、社会の不理解と反対の中でも、
神の創造理想を実現する為に聖和直前まで至誠を全て尽くされた生涯を経綸されました。

蕩減復帰摂理は単に、
統一教徒の信念や理論ではなく、
万民が信じて実践し完結すべき道理です。

(3. 真のお父様の路程(1920-1960))
につづく