これは顯進様が2010年にGPF世界巡回をしながら訓読会中に発表したメッセージを整理したものです。
お父様がこの場におられたならば
どれほどお喜びになられただろうか …
イベント会場の中で
この考えに囚われ
祈祷の中で、お父様に侍りました。
わたしは、その方の息子です。
どこに行こうが、わたしは
お父様とご一緒するでしょう。
ケニアで開催された第2回GPC(地球村平和会議)開幕式を成功裡に終えた翌日の訓読会で、文顯進会長は所感をこのように表明し、この行事を、
神さまの摂理史的な大勝利であり、真の父母様の偉大な勝利として祝賀申し上げよう、と語られました。
文顯進会長は 2010年のGPFの活動の為に、去る2月から11月まで世界各地を訪問し、各国のトップと最高指導者たちに、神さまを中心とした真の平和のビジョンを植え付けてきました。
時には幾多の大衆に向かって、時には危険な紛争地域と汚染地域を自ら訪れて、疎外された人々と自然を相手に、希望のメッセージと、暖かい真の愛を伝えました。
毎朝静寂の中で進行される訓読会は、
文会長が率いる摂理的活動の霊的求心点でした。
彼は訓読会を通じてもう一つのメッセージを、
祝福家庭と平和大使たちに伝えてきましたが、
これは真の父母様に伝達されることを願う息子の消息でもありました。
地球村の各地で持たれた訓読会で、文顯進会長が伝えた
メッセージの内容の一部を整理して、
食口の皆さんと共に分かち合おうと思います。
(整理:金慶孝)
◇ ネパール NEPAL
わたしは今もまだ、天の前に神聖な責任感を持っています。
もし万が一、自分の命をかける「恨」があっても、
それを果たそうと思います。
わたしがブラジルで2時間にわたりみ言葉を語った内容を、
僅か8分のビデオに作った人々は、
わたしを、暴力的な指導者として罵倒しながら、
わたしがお父様の元に行く道を遮断するつもりかも知れませんが、
彼らは、
わたしの心と意志を、くじくことはできないでしょう。
***
わたしはネパールに行く途中に、バンコクで偶然に、
以前カープと UPF活動を共にした、
タイの指導者と同じ飛行機に乗るようになりました。
妻はわたしの手を掴み引っ張りましたが、
わたしは彼の前をそのまま通り過ぎませんでした。
気づかないふりをして機内に入ることもできましたが、わたしはそうしませんでした。
彼が悟れないことがあるのなら、たとえ短い瞬間だとしても、
知らせたかったのです。
***
わたしがブラジルでS会長に本当に個人的な恨みがあったり殴りたい心があったなら、それぐらいで終わらせはしなかったはずです。
わたしは過去に武術訓練も積み、今でも数十キロのリュックサックを担いで険しい山を上り下りする人です。
わたしが彼を、背を向けないで声を掛け、厳しい辛口の指導をしたのは、彼が摂理的な責任者だったからです。
彼を他人とは見ず、兄弟として見たからです。
たとえ彼らが今はあのようにしているとしても、わたしは
彼のために祈っています。
***
私たちが追い求めているビジョンや大志(aspiration)、原理、価値などは、すべて、
この平和メッセージと連結されているのです。
後天時代に、神さまのモデル国家を立てなければならないとすれば、
その国がどこにあるにせよ、原理に、基づかなければならず、
その社会がどのような社会であれ、
神さまの摂理に、整列され、
摂理的なビジョンを現わすことができる、社会でなければなりません。
このようなビジョンに先ず皆さんが、主人になるよう願います。
きょう、どのような行事が進行されようとも、心配しないでください。
今回の行事は、種蒔きです。
この行事の後に、ネパールの全地域を訪問し、
特に若者たちに「神さまの下の一家族」のビジョンを伝え、
このビジョンへの情熱を植え、
原理と価値を教育してください。
この国が新しく出発する時に、
霊的なビジョンが、どれほど重要であるかを悟らせてください。
***
自分自身の信仰活動の為に皆さんに勧めるのは、訓読家庭教会です。
これは神さまの驚くべき摂理戦略です。
訓読家庭教会では、すべての祝福中心家庭が指導者になり、牧師になるのです。
お父様は、この方向に行かなければならないと、相当以前から語ってこられました。
わたしはカープを通じて、若い食口たちを指導する時、信仰的な側面から見ると、
彼らが、窮極的に訓読家庭教会の指導者になることを望みました。
◆ パラグアイ PARAGUAY
昨日の晩餐会場でわたしは、
4ヶ国から訪ねて来た、4名の前職大統領たちと一緒に座っていました。
パラグアイの現職副大統領夫妻も同席しました。
彼らはどうしてこの行事に参加したのですか。
私たちがお金で彼らを招待したと思いますか。
皆さんはどうしてここにいますか。
皆さんがここへ来たことが本当に絶対服従の規律を破った大きな犯罪になりますか。
皆さんは教会のメンバーですか、それとも
神さまの真の家庭の一員ですか。
わたしは皆さんに明らかに申し上げることができます。
わたしは、教会の食口として皆さんを探して来たのではなく、
神さまの真の家庭の一員として、皆さんの前に立っています。
もし、現在の統一教会が神さまのみ旨と摂理に整列されていたなら、
わたしは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、その道に従うでしょう。
しかし、そうでないなら、わたしは
統一教会に従うよりも、神さまのみ旨の前に順従する道を、選ぶでしょう。
***
私たちが 30年、40年をみ旨の前に献身してきた動機は何でしたか。
それは、統一家において真実と正義、真の原理と価値、そして神さまの摂理が生きていたからでした。
わたしは以前、統一教会は真理を探し求める運動だと思っていました。
堕落した世の中において、真の家庭理想を悟って進んでいく、真理運動だったので、
ここに同参する人々は、
探し出された真理を中心として、良心のとおりに生きようとし、
正義を追い求めて来た人々だと、思っていました。
そして、統一教会は
蕩減復帰歴史がそうであったように、
原理の前に従順の道理を守ってきたもの、と思っていました。
わたしは統一教会が、為に生きていく、真の愛の価値を最も大切に実践するもの、と思いました。
怨讐さえも愛して抱く、真の愛の貴い価値は、お父様が最も率先して実践してこられた伝統でした。
わたしは、統一教会を最も貴重に見たのは、
真実と正義を追い求め、原理と価値を守ってきたという段階からもう一歩進んで、
神さまの摂理を成し遂げようとする人々が集まった組職だからでした。
このために世の中がいくら私たちを反対しても、明確なアイデンティティを持つことができました。
ところで、今日の統一教会の姿はどうですか。
依然として真実と正義のみを追求する姿がありますか。
破壊と審判ではなく、赦しと愛が生きている所ですか。
神さまの摂理の方向に正しく整列されていますか。
わたしが何故この国へ来ましたか。
この国は南米の中心であり、ちょうど子宮のような存在です。
わたしがパラグアイが好きになったのは、
人口の半分が 30歳以下の若者たちだからです。
この国が好きなもう一つの理由は、
インディオ文化と西洋文化が国の中に調和しながら定着しているからです。
わたしがパラグアイが好きな最も重要な理由は、この国が、
信仰を重視する国だからです。
このような背景があるので、パラグアイには
インディアン、スパニッシュ、ドイツ系白人などの多様な民族が定住しています。
特にメノナイト(キリスト教メノー派の人々)を見ると、彼らは宗教の自由を求めてこの地にやって来て、チャコに定着しました。
このような背景から見ると、この国は南米の中心になることができる土台を持っているのです。
***
神さまは神秘的に動かれるお方だ、ということが感じられます。
2008年にわたしがパラグアイへ来た時には、
私たちの基盤はほとんど奪われてしまいそうな状況でした。
ところが、もしこのような危機がなかったら、恐らくわたしは
パラグアイへ来る計画が全くなかったかも知れません。
わたしはこの国に訪ねて来て、失ってしまうところだった私たちの基盤を
再び取り戻しました。
しかし、そのことは、それほど重要ではありません。
わたしがこの国へ来て最も重要視したことは、
神さまの下の一家族の種を、植えることでした。
この国だけではなく、南米圏全体の為に種を植えました。
これからこの国を動かす為に、最高レベルの指導者たちを教育するだけでなく、
若者たちを動かさなければなりません。
そのようになれば、国を動かすのは時間の問題です。
若者たちを動かすのに、皆さんが先頭立ってくれるよう願います。
(つぎに続きます)