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真のお父様の聖和式の意味と我々の姿勢

文顯進会長は、2012年9月15日、米国シアトルに集まった祝福家庭に、真のお父様の天宙聖和式の正しい意味と私たちの姿勢に関して語られました。
話された内容が非常に長いため、ここでは数回にわけて紹介します。
その際、各主題から逸脱しないように、若干の編集をしております。

文会長はみ言の冒頭で、真のお父様の生涯を
「第3アダムの栄誉ある生」と「天宙的な勝利」という言葉で定義し、
その「偉大な価値」は、「摂理史の中」で正しく評価され得る、と説明されました。
そして、「それはご自身の栄光や尊厳の為の道ではなく、神様に栄光と尊貴を返す為の道」だったと強調されました。
また、真の家庭を見ると、未だ誤った点があるものの、それは真の家庭の構成員各自の責任分担であり、真のお父様が立てて下さった原理と価値は永遠なので、必ず実現しなければならない、と訴えられました。

真のお父様の天宙聖和式
文顯進会長のみ言(2012年9月15日)

きょう私たちは、
第3アダムの栄誉ある生涯を追慕する
聖和式を行いました。

真のお父様の肩書きや地位にかかわらず、
真のお父様が生涯を通じて、神さまの摂理のためにご苦労された業績は、
計り知れないものがあります。

お父様が如何なる後悔や未練も残さずに、天に逝かれるように侍って差し上げる為には、
この聖和の意味を、
よく理解しなければなりません。

それゆえ、人間的な考えや人間的な立場から、「統一家の」名誉や「統一家の」自尊心に囚われ過ぎて、聖和が
妨害されないようにしなければなりません。

聖和は、
お父様の生涯を天に奉献するものです。

ですから、私たちはすべてを
神さまの観点から、そして摂理史的な観点から展望し、
その摂理を完成してこられた真のお父様の役割を照らし出す時間に
しなければなりません。

真のお父様の生涯は、
摂理の次元から見る時にのみ、
その偉大さが正しく説明できます。

本聖和式は、
神さまと神さまのみ旨の前にすべてを返す時間であるため、
この聖和式を通じて、
真のお父様の生涯の真の価値が決められるでしょう。

人々が、わたしのお父様の生き方と
成し遂げてこられた事柄を本当に理解したなら、
天の前に真の孝子の生涯を生きてこられ、神さまのみ旨を実現して差し上げる為に努力してこられた、という事実を悟ることでしょう。
それは、ご自身の栄光や尊厳の為ではなく、
神さまに栄光と尊貴を返す為の道でした。

皆さんの中で、わたしが韓国で進行される聖和式には行かないことにした、という手紙を読んだ方がどれほどいますか。

ほとんど全員が読みましたね。
では、その内容は繰り返しません。
しかし、その手紙を書くようになった背景は、説明する必要があるでしょう。

わたしの側近の人々でさえ、
韓国の人々に映し出される私のイメージを考えて、聖和式には必ず出席すべきだと要請してきました。
しかし、
それが何の為の聖和式ですか。
それが私たちに相応しい礼式でしょうか。
特に、真のお父様の生涯を
正しく記念し、栄光を称えて行われることでしょうか。

私たちはただお父様が、
一生涯かけて積み上げてこられた実績を褒め称えさえすればよいのですか。
それとも、この時間には、
次元のより高い何かを提示すべきでしょうか。

この日は、私たちが、本当に真のお父様の生涯と業績を称える日であるべきでした。
この日は永遠なる神さま、人類の縦的な神さまの存在を悟る日であるべきでした。
そして、その神さまの前に、神さまの息子、神さまの真の息子が立てた先例を公認し、受け入れる日であるべきでした。

この神さまの息子は、
人類歴史上、創造以来(実現されないまま)保留されてきた神さまのみ旨を、
歴史上初めて実現して、
先例を打ち立てました。

この日は、全人類の実体的な救援の為に立てられた条件を通して、
天宙的な勝利を
記念する日でなければなりませんでした。
この日はまた、真の家庭の実現を通じて、この地に神さまの王国を実体的に建設する為に立てられた基盤を、
記念する日でなければなりませんでした。

いま皆さんが真の家庭を見ると、未だに間違った点が多いことが分かるでしょう。
5%の責任分担があるからです。
しかし真のお父様の功績は、
実体的な真の家庭を成す為の基盤を立てられたことです。

真の家庭が責任を果たすかどうかは別個の問題であり、
神さまが主張なさることのできる天宙的な勝利が得られたという事実は、
人類歴史と神さまの摂理史の中において、否定することができません。

わたしは、真の家庭の各構成員に関する責任をすべて取り上げて論じはしませんが、
この家庭の中にも、家庭の秩序の為の法があります。

わたしが、
生きる為の火の柱、羅針盤として、
普遍的な原理と価値を強調する理由は何でしょうか。

人間の創造と共に、神さまは
原理と価値の体系を立て、
人類がこの地に、神さまのみ旨を実体的に実現する際に、適用すべき
法の土台としました。

原理と価値が重要な理由は何ですか。

それは私たち一人ひとりが、
唯一・絶対・永遠性が内在した、個性真理体だからです。
そして神さまは、私たちに創造性を賦与して下さいました。
神さまが人間に自由意志を下さったので、
天法の基礎になる原理と価値を守ることも、
私たちの選択に、依存しています。

良心に従って生きる人は、この法を守る道を選択するでしょう。
それは個人、家庭、民族、国家、そして世界を運営する宇宙の自然法則になるでしょう。

私たちは原理を基準にしていますが、
皆さんは、統一家が原理的な共同体を実現したと思いますか。
食口たちが個性真理体として、このような原理をまず自分個人の生き方において、
そして家庭を成した後には、その家庭において実現したと思いますか。
5%の責任分担に主人意識を持って、神さまの実体王国を建設する共同創造者であり、助力者になりましたか。

しかし、食口たちが、本当に神さまの摂理や原理の価値を理解し、そういう存在になるべきなのですが、
統一家がそういう姿になっているでしょうか。
この人々を見て、そういう基準が備わった人と言えるでしょうか。
このサタンの世の中で、他の誰よりも天法によって治められている、良心的な人と言えるでしょうか。

わたしは、わたしが初めて公職を始めた時、初めて対面した統一家の指導者たちのことを記憶しています。
彼らは、全く違った文化を持っていました。
もう数え切れないほど多く言及しましたが、
それは、文化が組織を導くのではなく、
組織が文化を導いていたからです。
天の文化が、組織を導いていかなければならないのに、
正反対でした。
私たちの文化が生んだ組織ではありませんでした。

祝福中心家庭が、
統一家の偉大な教えである神さまの摂理と原理、そして価値を実現した時にこそ、
真正な祝福中心家庭としての資格が備えられます。

統一家の組織は、そういう夢と原理と価値の土台の上に立てられなければなりませんでしたが、正反対になったのです。

統一家の構造は一言で言うと、
「アベルに対する絶対服従」と表現することができます。
そのアベルが非道徳的な行為をしたり、神さまの摂理、そして私たち自身が指針とすべき原理と価値に、完全に違反した行為を指示したとしても、問題視せずに、従わなければなりませんでした。
言い換えると、このように「アベルに絶対服従」する構造が、
私たちの文化として、固定化されてしまいました。

組織が文化を決定する過程において、
私たちの良心は何処に行ってしまったのですか。

正邪や善悪に対する判断力は何処に行ってしまったのですか。

私たちの摂理意識と私たちの生き方、私たちの信仰、そして私たちが走ってきた摂理の一線で、直接的に役事なさった神さまは何処に行かれたのですか。

多くの先例が現れませんでしたか。
過去を振り返ると、わたしは、個人や家庭的な次元で、献身を厭わなかった多くの食口たちから、大きな感動を受けてきました。
その反面、わたしは、私たちの指導者たちを見る度に、非難してきたことを記憶しています。
神さまの摂理を中心とした私たちの生き方の中で、
普遍的な原理と価値を実現しようとした、統一家の崇高な精神を遠ざけたまま、
彼らは、
信頼に反して、権力を濫用してきたからです。
彼らは、
統一家の長所かつ原動力になってきたその精神を喪失し、
地位と権威と財物と権力のみを貪ってきました。その過程において、
価値のあるものは全て忘れてしまい、
役にも立たない無価値なものだけが定着してきたのです。
多くの指導者たちは、
嘘をついたり誤魔化したり、虚偽の報告を書いたりしてでも、
真のお父様から職責の任命を受ける為に、
血眼になっています。
彼らは、真のお父様はすべてをご存知の方なので、
真のお父様から許諾さえ受ければ、すべてが正当化されて、
自分の計画が、天の祝福を受けるものだ、と信じているからです。

今もそういう考えを持っている人が沢山います。
しかし、そういうタイプの考え方には、問題が沢山あります。

本当に自由で解放された世界を建設する為には、
各個人の良心が生きている世界に、ならなければなりません。
その良心を通じてこそ、神さまが語ることができるからです。
皆さんは、良心に基づいて、物事の正邪、正義と不正義、善悪を判断するようにならなければなりません。

良心を開発する為には、
口先だけ、天の原理と価値を語るのではなく、
生活の中で、逆境と訓練を通じて、条件を立てなければなりません。
原理と諸価値を、生活の中で実践する時に、皆さんの良心と霊性が開発されます。

それゆえお父様は、如何なる師や神さまよりも、
良心こそが、私たちの真の主人だと語られたのです。

皆さんを善なる人にするのも、悪なる人にさせるのも
良心です。
それが太初に、神さまが創った人間本然の姿であり、
そのために人類は、本当に神さまの実体対象となって、永遠なる神さまの属性を
反映することができるようになっているのです。

(つづきます)