dignity

解散命令は迫害ではなく自らが招いた審判

かつてイエス様が、
「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」
と言われたパラドックス(逆説) に、私たち全員が直面しています。

この審判の時には、もはや隠れる場所はありません。
皆さん一人一人が、自分はどこに立つのかをはっきりさせなければならず、
その決断に対して、神様と全人類の前に責任を負わなければなりません。
天と地を前にして、自己の責任分担を全うできるかできないかのどちらかです。

決定するのはあなたであり、その責任は、究極的にはあなた自身がとるのです。
それが、あなたの祝福中心家庭としての基準を計る物差しとなるでしょう。

(2013.02.12「基元節の意義」について祝福家庭に送る書信)

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私たちの運動において巨⼤な試練の時であるこの時代は、
最⾼と最悪が両⽅とも現われる時期です。
本当に⼭⽺と⽺が分けられる時です。

お⽗様はこの時期に対し警告されました。
後天時代は皆さんが神様の摂理に直接貢献すべき時代です。
それ故にお⽗様はこの時代が素晴らしい祝福の時であると同時に
恐るべき警告の時であると語られました。

皆さんが責任を果たすことができなければ
審判を受けるようになるでしょう。

したがって祝福を受けたのは機会が与えられたことを意味しますが、
その機会を充⾜させるか否かは皆さんにかかっています。

(2015.08.02 シアトル)

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お父様が立てられ、私が発展させた私たちの運動の基盤を利用して、
私を完全に破壊し、私の摂理的責任と活動を阻むという明確な意図を持って、
彼らは30回の訴訟を起こしました。
私は単に真の子女の中の一人ではありません。
食口たちも好んで同参して、私を殺そうとしました。
正直に言うと、私は食口たちがそこまで悪くなるとは想像もしませんでした。
しかし、歴史学徒として私は、
いわゆる「善良な人たち」でも悪事が出来るということを知っています。

ですから当時、私は祝福家庭の食口たちに
「内幕を知ることもできないことに関与してはいけない」と言ったのです。
「自分が何をしているのかもわからないので、簡単に結論を出さず、私たちの運動と祝福家庭が示すべき理想と教えに立ち戻れ」と言いました。

どれだけ多くの食口たちが私の忠告を聞き入れましたか。
その行動の結果は
彼らが残りの生涯をかけて担わなければならない審判となるばかりでなく、
子孫までもそれを背負わなければならなくなると思いませんか。
責任分担がそうではないですか。

実際に祝福家庭は、カイン型子女として大変重要な位置にあります。

皆さんは摂理的な人たちです。

しかし、摂理歴史の観点からみると祝福家庭は大きく失敗しました。
歴史が審判するでしょう。

(2021.05.25 第52回生誕日)

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今日、新年を迎えるためにあなたのもとに集まったこの息子娘たちは、
個人的かどうかに関わらず、十字架を背負い、
それに耐えなければならないとしても、
あなたと共に立つことを選んだ息子娘たちであります。
彼らの信仰は試されました。
彼らの信頼は裏切られ、
彼らはあなたの真の家庭の名誉と品位だけでなく、
あなたの摂理とあなたを代表する真の息子娘なら実体化すべき
すべてのものの名誉と品位を守るために、
口を閉ざし、
すべての虐待に耐えなければなりませんでした。
しかし今は、
真実が輝いて勝利する時であり、
その真実は、
あなたの失われた息子娘たちの良心において降(くだ)される、
審判の源となるでしょう。

(2022.01.01 元旦午前零時における祈祷)

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そうして、まさに青天の霹靂、
痛ましい事件(安部元首相銃撃)が
2022.07.08に起きました。

これは偶然に起きたことでしょうか?

次のように言いたい。
今の統一教会(現家庭連合)に責任が一切ない、とは言えない。

もちろんそこから離れたとは言え、
そこに長年所属してきたわたし自身にも
連帯的な責任があると思っています。

ですから涙で痛哭、涙で痛哭し、悔いて、
もがきながら いま摂理の中心人物と一つになって
新しく出発しようとしているのです。