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文顯進会長、彼は誰なのか02

文顯進会長、彼は誰なのか?

序 論 のつづき

食口の皆さんに、
「文顯進会長、彼は誰なのか?」
という題目でお話ししたいと思います。

Ⅱ 摂理の中心人物をどのようにして知ることができるか?

それでは、摂理の中心人物を
どのようにして知ることができるでしょうか。

1. その行う業を通して分かる

第一に、その行う業を通して分かります。
顯進様は聖書の内容を引用しながら、
「彼が何者なのか知ろうとするなら、彼の行う業を見よ」と語られました。

益々多くの食口たちが顯進様の行う業とその業が作り出した結果を見て、
顯進様がどういうお方なのか、気づき始めています。

最近、公開書信を発表じた金炳和元北来大陸会長は、
今年の真の神の日の記念式典とフィリピンGPC行事に参加した後、
顯進様が誰であるかをもう一度明確に悟ったことを明かしました。

一方、真のお母様や亨進氏の場合も、
この方々がこれまでして来た業とその結果を正確に知るならば、
どのような方かを知ることができます。

2. 彼の言葉を通して分かる

第二に、その人が語った言葉を通して分かります。

私たちがイエス様を理解し、真のお父様を理解する最も容易な方法は、
その方々の語られた言葉を研究することです。
同じように、誰がお父様の権威を継承した摂理の中心人物なのかを知るには、
その方々が語った言葉を研究すればよいのです。

顯進様が誰なのか知るには、先ず第一に、
その方が18歳から今まで約30年間、公式席上で語ってこられた内容を分析すれば、
その方に直接会ったり一緒に生活してみなくても知ることができます。

顯進様は2011年4月頃に突然私に、18歳から約20年間にわたる代表的な顯進様のみ言葉を整理して本として出版せよとの指示を下さいました。
それ以後、出版記念日まで40日を経て
「神様の夢の実現」という本が出されました。

この本が誕生したことには歴史的な意味があります。

この本を読めば、
顯進様が神様のみ旨と摂理、
真の父母様と真の家庭のレガシー、
祝福家庭の役割と責任、
指導者訓練と二世教育など、実に多様な分野において、
どれほど一貫したみ言葉を語ってこられたかが分かることでしょう。

顯進様は過去数年間、
教会から言葉で言い尽くせないほどの誤解と迫害を受けてきた過程においても、
食口たちに向けて一貫したみ言葉を語り続けてこられました。

このような顯進様のみ言葉を研究すれば、
10代の時のみ言葉も、
20代の時のみ言葉も、
30代の時のみ言葉も、
40代の時のみ言葉も、全てのみ言葉が
少しも乱れることなく、あまりにも一貫しており、
お父様が明らかにされた神様の摂理と原理のみ言葉の精髄を
貫かれているということが分かります。

真のお母様や亨進氏の場合も、
お二方の語って来られた内容を研究すれば、
神様の摂理と原理に対するお二方の観点が何なのか、
果たして時流に影響されず、絶対的な真理だけを語って来られたのかが分かります。

3. 彼の生き方を通して分かる

第三に、彼の生き方を通して分かります。

私たちはお父様がなさった業とみ言葉だけではなく、
お父様が生きてこられた人生を直接•間接的に経験することで、
その方がどういうお方かということが分かります。

今日私はこの三番目に該当する顯進様の生き方を通して、
顯進様が何者であるかを見て行こうと思います。

顯進様の生涯を最もよく知る方がいるとすれば、恐らく、顯進様と30年の歳月を夫婦として共に生きてこられた全淑様であるはずです。
また、顯進様のご家庭のご子女様方です。

顯進様のご家庭の長子である信元様が2011年、米国陸軍士官学校卒業式で父親について「マン・オブ・プリンシプル(man of principle)」、即ち「真なる原理の人」と証しました。

顯進様がいつも神様に侍り、真理と正義と善を中心とした人生を生きてこられたということを、息子が証したのです。

こういった言葉は、唯単に父親を良く見せる為に作り出したものではなく、
子女の目には父親の生き方が、そのように映ったということです。

このような直系の家族の方々に比べれば私は、顯進様が生きてこられた内容のごく一部にだけ接した者ですが、最善を尽して自分自身が経験し、感じた内容を持ってお話したいと思います。

過去9年にわたる統一家の混乱は、逆説的に、食口たちがよく知らなかった顯進様を再び良く知るようにしてくれる契機となりました。

イエス様が何者なのか知らずにいたのが、十字架の死と霊的復活以後になってイエス様が何者かを悟ったのと同じ歴史の皮肉です。

顯進様はこの期間、一人だけの苦悩と決断で唯一神様だけを信じ頼って、多くの山を越えたと語られ、「皆さんが私の立場だったら、一日たりとも耐えられなかったはずだ」と語られました。

本 論(1) へつづく