本 論(1) つづき
顯進様がどのような方であるかについて具体的にお話致します。
1. 顯進様の人生と人格
2) 顯進様はなぜ自然人なのか?
第二に、顯進様は何故自然人なのか、に関することです。
顯進様が如何にこのようなセルフメイドマンとして生きて来られたのかということは、この方の人生で、非常に重要な部分を占める、自然の中での生き方でも見いだすことができます。
ある時、顯進様は
「私は自然人」即ち「マン・オブ・ネイチャー(man of nature)」だと
自分自身について表現されたことがありました。
その意味は何でしょうか?
顯進様はみ言葉を語られる時、何かの本で読んだ内容や、私たちが生きているこの現代文明社会の中で体験した内容ではなく、自然の中で感じて経験した内容をもとに、多くのことを語られます。
「自然は精誠を捧げる最高の教会です」
「自然は神様に会う最高の場所です」
「自然は原理を悟らせる最高の学校です」
「自然は指導者を作る最高の訓練場です」
「自然の中では自分をだまし隠すことはできません」
「自然は私の行動に対して即時に結果を見せてくれる所です」
顯進様がこのように言われるのは、
顯進様自ら、長い期間、自然の中でこの道理を体得されたからです。
これを誰かがさせ、また誰かから教えてもらって語られたのでしょうか?
そうではありません。
顯進様自ら、お父様の人生の中でインスピレーションを受け、
自分の道を開拓されたのです。
特に顯進様は、摂理的に非常に重要な事案があるたびに、
深い山の中に入って精誠を捧げられます。
顯進様が2009年40歳を迎えられた時も、
静かにモンタナの山の中で、数人の指導者たちと一緒にこの日を記念して、
神様に精誠を捧げられました。
精誠というと普通、早朝祈祷と敬拝、断食、徹夜などを考えますが、
顯進様の精誠はそのような条件的な次元を超えています。
顯進様が険しい山と渓谷を登り下りして「立てる」精誠の基準は、
摂理的目標を必ずなすことができるすべての内的準備が整っているかどうか、
という点にあります。
一言で言うと、
この目標のために命をかける準備ができているかどうか、という次元です。
ですから、顯進様は一度、山の中に入って行けば、ほぼ睡眠も3〜4時間しか取られず、専門ガイドでさえついていくのが大変な日程とコースを消化されるのです。
ですから、顯進様を一度経験したガイドは、次にまたガイドをすることを避ける場合も多いそうです。
ある時、顯進様はアメリカ最高のキリスト教指導者2人をモンタナに招待して、精誠体験を一緒にされました。
直接その方たちを案内して、深い山の中で数日間を一緒に過ごされたのです。
顯進様が長年にわたって自然の中で経験し悟った神様と神様のみ旨、
深い原理の世界について、この方たちは、深く感服しました。
生涯、聖書の中だけに真理があり、神様に出会う道があると信じてきた方たちは、
顯進様を通して、この自然はもう一つの聖書である、ということに目を開いたのです。
こうした顯進様の自然の中での訓練と経験は、
自然に、子女教育と指導者訓練にもつながります。
学校の休みの時にはいつも子女たちをモンタナの山の中に連れて行かれ、
自然を経験するようにし、自ら神様を探すようにされます。
自然の中でのアドベンチャー修練を導入され、
祝福子女教育を行う時や、主な指導者会議をする時、アドベンチャー修練をするように強く勧められます。
自然の中で精誠を捧げる顯進様の生活のベースキャンプは、
まさにモンタナの山の中にあるロッジです。
家庭連合は、顯進様がモンタナに良い別荘をつくっておいて、
豪華な生活をしているかのように、悪宣伝をしましたが、
彼らがたった一日でも顯進様と一緒にモンタナの深い山の中での生活を体験したなら、それがどれほど神様を中心に侍り生きて行かれる顯進様の高貴な人生を、冒浣し歪曲した内容なのか悟ることでしょう。
3) 顯進様の人生は、なぜジェットコースターなのか?
第三に、顯進様の人生は何故ジェットコースターなのか、に関することです。
顯進様のセルフメイドマンとしての真価が発揮されるのは、
ジェットコースターのような人生のためです。
2008年4月、顯進様が、南米6カ国ツァーの途中、パナマを経て、ペルーを訪問された時のことです。
顯進様は部屋でしばらく一人になられた時、突然、私に
「私の人生は、なぜジェットコースターのようなのだろうか?」
と質問を投げかけられました。
顯進様を見て、私は何も言うことができませんでしたが、
それ以降、私は顯進様の人生を見つめるたびに、この質問が常に思い出されました。
顯進様がその直前に巡回地のパナマにおられた時、
韓国では、亨進氏を家庭連合世界会長に委嘱する離就任式が行われていました。
誰もこの事実を顯進様に伝えず、顯進様は一方的に家庭連合の責任者から、そしてCARPの責任者から解任されたのです。
想像してみて下さい。
2008年初め、真のお父様は、緊急に顯進様を呼んで、パラグアイで発生した大きな問題を解決するように頼まれました。
パラグアイの土地60万ヘクタールが奪われる危機に処した時、顯進様にその責任を任せられたのです。
さらにお父様は顯進様に、南米で1万2千人の平和大使を教育するようにという責任も任されました。
このような重大な命を受けて、南米を巡回していた途中、
顯進様は亨進氏の家庭連合世界会長就任のニュースに接したのです。
これは顯進様に大きな衝撃でした。
なぜなら、すでに顯進様は亨進氏の資質と考えなどを正確に知っておられ、背後で誰がこれを企てているかも知っておられたからです。
顯進様は、今後この運動が分かれることを知っていらっしゃったため、
パナマでほとんど寝ずに夜を明かして翌日、ペルーに移動されました。
1998年に顯進様がお父様の後を継ぐ長子に選ばれた後に始まった公的人生は、決して平坦でスムーズなものではありませんでした。
何度も天国と地獄を行ったり来たりするジェットコースターのようでありました。
ところが、驚くべき点は、
顯進様はどんな状況でも、お父様に不平を言われず、
神様の前で自己憐憫に陥ることがなかった、ということです。
私は一度も、顯進様が自分自身に対して悲観しながら不平を言われる姿を見たことがありません。地獄の奈落に落ちても、顯進様は自分を悲観されず、むしろその状況を自ら克服して乗り越えられました。
このような顯進様の経験があるので、
私たちが天宙史的な葛藤を経験する時、次のような有名な言葉を残されたのです。
「皆さんは状況を主管することはできないが、その状況に如何に対処するかは主管することができる」
「サタンが侵入する2つのドアは、傲慢と自己憐憫なのでそのドアを閉め、いつも天の前に謙遜と感謝の姿勢を維持しなければならない。」
神様は、顯進様が自らの力で再び立ち上がり、
神様のみ旨と目標に向かって挑戦される時、
いつも大きな祝福で顯進様の前途を開いて下さいました。
2008年4月に家庭連合とCARPの責任者から退きましたが、
2008年7月から世界的なGPFの風が吹いたことがその良い例です。
また2009年顯進様は、お父様を裏切った堕落したアダムの汚名を着せられて、
より深い地獄に落ちましたが、
なんと7年にわたる忍苦の歳月を経て、
神様を中心とした変わらない道を歩いて来られたために、
より大きな祝福が、顯進様と共に現れたのであり、
初めて顯進様自らのカで、
真のお父様の権威を継承した長子の座に再び上がられたのです。
つづく