dignity

文顯進会長、彼は誰なのか08

本 論(2) のつづき
2. 顯進様の信仰と神学的観点

3) 主人信仰(責任信仰)か、盲目信仰か?

第三の質問は「主人信仰、または、責任信仰か、盲目信仰か」です。
この質問は顯進様の第四の神学的質問である「祝福家庭の責任は何かと関係があります。
顯進様は主人の信仰を教えてこられました。
二世たちに、神様の夢の主人になれと語られました。
カープの核心価値の第二の項目がオーナーシップ、即ち主人意識です。

最高の孝子とは、父の夢の主人になってその夢を成し遂げてさし上げる人だと語られました。
主人の信仰は責任分担が核心です。
主人が責任を負うのであって、僕は責任を負いません。
この信仰の基準は特に復帰摂理時代と荒野時代を終わらせ、成約時代、定着時代に入って行く時に必要なのです。
それゆえお父様は祝福家庭たちを天一国主人と名付けて下さり、
子女責任時代を出発させられました。
そして家庭盟誓を、天一国主人の責任に関する誓約として制定して下さったのです。

ところが統一家の指導者たちは、顯進様とは正反対に、
食口たちに盲目的信仰のみを強要して来ました。
食口たちをまるで僕の立場に落とし、真の父母様の指示であれば無条件に従い、
組織の命令にだけ服従するように手なづけてきました。

特に亨進氏は、家庭連合の責任を担っていた時から、真の父母様の前に絶対服従のみを強要していました。
食口たちは真の父母様の僕と奴隸である、と教えました。
彼は摂理の時代的な変化も読み取ることができず、創造原理の基本原則も分かりませんでした。
それのみならず、亨進氏がお父様を絶対視したのは、お父様の権威を利用して、正統性の無い自分自身の不安な地位を守る為でした。

神様の摂理の中心人物であれば、果たしてどのような信仰を、食口たちに、さらには人類の前に指導しなければならないのでしょうか
神様の真なる息子娘として生きていくようにする真なる主人の信仰ではありませんか
盲目的な服従に手なづけられた信仰ではなく、
真の自由と責任で真理と正義と善を追求する信仰ではありませんか。

4) メリットベース(merit base)か、特権意識か?

第四の質問は「メリットベース(merit base)か、特権意識か」です。
この質問も顯進様の第四の神学的質問と関係があります。

顯進様は昔から真の家庭は勿論、教会において特権意識を徹底的に排撃されました。
先輩家庭だから、指導者だから、二世だから、真の子女だから、もてなしを受け、恵沢を受けるべきだというのは、統一家の文化で消え去るべき代表的な「弊害」と見なしました。

顯進様がそう言われたのは、
特権意識は文化を病ませ組織を腐敗させる温床になるからです。

顯進様が立てようとした文化は「メリットベース」でした。
言い換えると、自ら功績と実績を立て、相応しい資質と資格を備えた人が責任者の座に就かなければならないと見られたのです。
こうしてこそ道徳的、革新的リーダーシップを備えた最も優れた指導者たちが統ー運動を率いるようになり、神様の摂理が持続的に発展するようになると見られました。

顯進様はこの基準を自分自身と御自身の家庭の子女たちに最も厳格に適用してこられ、顯進様に従う指導者たち、そして祝福子女たちを教育するにおいても厳格に適用しました。

顯進様は1998年に真のお父様から長子として任命されましたが、一度も自分の特別な権威を先立てることなく、自ら実績を立てて権威を認められてきました。
ご子息の方々に将校としての道を歩ませたのは、彼ら自らが真の子女として相応しい資質を備えることを期待されたからでした。

ある時、顯進様の家庭内で行われた礼式を参観したことがありました。
その時に顯進様は、長男であられる信元様に、真の家庭は全人類の手本となる理想家庭の先例を立てなければならない最も重要な責任があることを強調されながら、特に長子がそれを知って、それに相応しいメリットと先例を立てるようにと指導されました。
先に生まれた長子だからといって自動的に父の権威を継承する立場に立つのではないことを訓戒されました。

今日この統一家を台無しにしたのは、特権意識と言っても過言ではありません。
草創期から開拓の道を歩んできた先輩家庭なので、教会から優遇されなければならない。父母が苦労したから二世たちは苦労なしに生きても良い。真の子女は如何なる地位や責任を任されても構わない。真のお父様の任命さえ受ければ、その地位と権限と責任が私のものになる。
こういった特権意識の文化が真の家庭の中にまで侵透し、汚染させた結果、
今日の天宙史的な葛藤が発生したのです。

神様の摂理に責任を負った方であるなら
統一家の中に蔓延した特権意識を清算し
徹底的に「メリットベース」で摂理を率いて行かなければなりません
正しい先例を通して霊的、道徳的権威が賦与されるようにしなければなりません。

果たして誰がこの時代にそのようなことをしていらっしゃるのか知れば、
その方が正にお父様の後を継いでおられる方だということを悟ることができます。

つづく