顯進様は、2009年から2015年まで、
天宙史的葛藤のなか7年路程を歩んで来られました。
その証の続きです▼▼
07) 基元節の夢を叶えるための偉大なる挑戦
GPFの神様の下の人類一家族のビジョンは、
人類普遍の理想として時に適ったビジョンであり、
地球村時代における人類の霊的大覚醒を導くビジョンでした。
このビジョンをモットーに展開された2008年のGPF大会は、
基元節の夢を成就するための偉大なる挑戦でした。
信仰的背景、人種的背景、経済的背景など、様々な背景を持つ国の中で、
GPF運動とOne Family under Godのビジョンが
どのような可能性を持っているのかをテストする機会でもありました。
世界20カ国以上で開催された大会と各種イベントを見守った統一家の指導者たちと食口たちは、
基元節の夢を成就できるという信念と確信にもう一度燃え上がることができました。
2008年にこのように信じられないほどの風が吹いたのですが、
その後も統一家全体が一つになって走っていたならば、
どのようになっていたか想像してみたことはありますか。
08) GPF中断の危機に直面!
とても残念なことに、
2008年に激しく燃え広がったGPF運動は、
2009年に入って完全に中断される危機に直面しました。
摂理が逆行し、
それまで築いた信頼がすべて崩れ、
さらに、真の父母様のレガシーさえも破壊されていく状況で、
顯進様は深い苦悩に陥ります。
汚名をきせられても、
神様の夢、お父様の夢の主人となり、その夢を成就する道を歩み続けるのか、
それとも、すべてをあきらめて個人的な生活をしていくのか…
09) み旨は生命以上、神様との約束を最後まで成し遂げる
長く悩んだ末、顯進様は
み旨は生命以上であり、神様との約束を最後まで成すことを決断されます。
そして2009年11月、
自身の決断を綴った書信をお父様に伝えました。
顯進様はお父様に次のように心境を打ち明けました。
「神様の摂理史における重大な節目を迎えたこの時、苦痛や試練が繰り返される度に私の役割と使命はますます明らかになりました。いつかは、すべての真実が明らかになるものと信じています。これは、ひたすら神様のみ旨と摂理のために一生の基準を守って来られたお父様の崇高な名誉と権威を守り、究極的にはそのみ旨を成就するためのものです」
10) 外部からの励ましと支持
顯進様の志を理解してくれる人達は外部にいました。
顯進様が統一運動のなかで困難に直面しているという知らせを聞いたフェレイラ牧師は、
文顯進会長に「私の特別な気持を伝えます」と言いながら
「One Family under Godのビジョンは、あなたのお父様が神様から与えられたビジョンなので、どんなことがあってもそのビジョンを守って下さい」という激励のメッセージを顯進様に送ってきました。
感動した顯進様はブラジルを直接訪問し、フェレイラ牧師にお父様の自叙伝を贈呈し、GPF運動を共に構想しました。
顯進様の決意を熱く支持する平和大使もいました。
2009年12月、フイリピンでGlobal Peace Convention、すなわちGPCが開催された時、フイリピンUPFを代表する平和大使の代表全員が、顯進様のGPF運動を共に行おうと立ち上がりました。
その方たちが顯進様に会った時、数年前に亡くなったドミンゲス女史が静かに立ち上がって顯進様にこのように語りました。
「Dr.ムーン、私はあなたが過去10年間、フィリピンのために、そして世界のために、どれほど献身的に働いてきたのかを知っています。Dr.ムーンに対する私の信頼は変わりません。私はこれからもDr.ムーンと共に行動します。」
彼女は長い間、フィリピン政府の要職にありながら、顯進様がフィリピンを訪問するといつも空港に迎えにくる方でした。
彼女の隣にはフィリピンUPF代表のチュア博士が座っていましたが、
彼が続いて立ち上がり、断固とした口調でDr.ムーンと共に歩むと語りました。
さらに続いて、マクシノ将軍をはじめとするその場にいた多くの平和大使の代表が、全員、顯進様を助けると立ち上がりました。
彼らは今も変わらずGPF運動を支援しています。
顯進様と共に行動すると言ったのはフィリピン平和大使だけではありませんでした。
韓国の李チョルギ元天道教教領をはじめ、
マレーシアUPFを代表していたタンスリ・ザレア元マレーシア女性省長官、
アフリカの平和大使を代表しUPFの最高常任委員であったジェームズ・マンチャムセイシェル共和国の建国大統領、
ヨーロッパの平和大使を代表し、やはりUPFの最高常任委員であった国際人権活動家のエヴァ・レーサム女史、
ブラジルのネルソン・マルケゼリー下院議員など、
全世界を代表する有名な平和大使がGPF運動に参加したのです。
つづく