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顯進様の世界的な活躍と実績2009-2015(05)

顯進様は、2009年から2015年まで、
天宙史的葛藤のなか7年路程を歩んで来られました。
その証の続きです▼▼▼▼

14) アフリカ開拓のためのケニア訪問と顯進様を助けた二人の賢人

顯進様は、インドネシア、フィリピン、ネパール、モンゴルをはじめ、アジア地域でのGPFの活動基盤を拡大する一方、
アフリカ大陸を舞台にGPF運動を展開するという大きな志をもって、
2010年6月、ケニアを訪問しました。
この時、顯進様を歓迎したのは
ワブカラ聖公会大主教
チャンダリア会長でした。

チャンダリア会長は、
コムクラフトと呼ばれる東アフリカで最も大きな企業を立ち上げ、東アフリカ経済人連合を作った優れた企業家であり、ケニア政治界に大きな影響力を及ぼす人でした。何よりも、いつも夫人と共に質素な生活をしながら、慈善事業に先駆け、ケニア国民の尊敬と愛を受けている暖かい人でした。マザー・テレサがケニアを訪問した時、この二人の家に滞在するほど、マザー ・テレサとも深い親交をもってきた人でもあります。

この二人の大物が、
2009年、フィリピンGPCで顯進様に会った後、
ブラジルのフェレイラ牧師のように、
インドネシアのサイド総裁のように、
顯進様と顯進様のGPF運動に完全に魅了されたのです。

一言で言って、天が準備した賢人たちでした。

15) ケニアのキバキ大統領との会談を通して扉を開く

二人の紹介により、顯進様は、
ケニアのキバキ大統領に会ってGPF運動を紹介し、
ケニアで開催される予定のGPCを
政府レベルで協助してくれるように要請しました。

顯進様との初めての対面で、
大統領の心がどれほど大きく動いたのか、
それは会談が終わった直後に撮影された記念写真にもよくあらわれています。

一国の国家首脳が外国から来た民間人をこのように優遇することは珍しいことです。
この大統領は非常に謙虚で、格式にこだわらない人でもありましたが、
初めての会談で顯進様に対して非常に良い印象を受けた結果でもありました。

16) 大統領のメンター、ワブカラ大主教の助言

会談が終わった後、大統領はワブカラ大主教を呼んで、
自分を訪ねてきた東洋の若者に対する意見を求めました。
その時、大主教は
「私はその若者の背景をよく知っています。」と言いながら、
「この若者が行う運動はケニアに必要なものですから、大統領が積極的に支援してくださればと思います。」と、大統領に助言したのです。
その言葉を聞くと、大統領はようやく安心して、
ワブカラ大主教に、ケニア政府はGPCを全面的にサポートするので、
このメッセージを文会長に伝えてくれと言われました。

フィリピンGPCで、
「私にはダブルアジェンダはありません、私の唯ーのアジェンダは神様の夢、神様の下の人類一家族の世界を成就することです」と気丈に話した顯進様を、ワブカラ大主教が大統領に見事に証したのです。

以後、ケニアGPCは政府の積極的な支援の下で一気に準備が進み、
アフリカ諸国にケニア政府の名前で招待状が送られました

17) ケニア政府レベルで支援したGPC

やがてケニアGPCの幕が開かれました。

皆さん、この写真が何を示しているか解りますか。
<トップ画像を参照してください

この大会の中心である顯進様が、アフリカの最高指導者を会場に直接案内する場面です。

一番左にいる人はケニア首相です。
その右側にケニア大統領がいます。
そして、その横の明るい色のスーツを着た人がエチオピア大統領です。
顯進様の右後ろで青い服を着ている人がナイジェリア大統領に代わって参加した大統領特使です。
そして、一番右にいる人がケニアの副大統領です。

この大会がケニア政府の次元で開催されたものであることを
如実に示している場面であることに間違いありません。

実際、ケニアがこれほどまでにGPFを助けたもう一つの背景は、
GPFが2008年にケニアで発生した種族間の紛争問題の解決に
大きく寄与したことがあり、その後も持続的にその問題を解決するにあたり、
先頭に立ってきたからです。

ケニアGPCは大成功を収めました。

GPFのビジョンはもちろん、
世界的な活動の具体的な事例が含まれた顯進様の基調講演は、
爆発的なカを持っており、
誰よりもケニアのキバキ大統領がスピーチに大きな感動を受けました。
それだけでなく、聴衆席には全世界から訪れた指導者と
ケニアのほとんどの長官と国会議員が出席していましたが、
顯進様のスピーチに誰よりも熱く呼応したのはケニアの若い指導者たちでした

このように良い結果を収めると、ケニア政府は、このGPCの基調演説文をアフリカのすべてのケニア公館を通してアフリカ各国に送信しました

18) 人口1億8000万のナイジェリアにGPFが広がる

ケニアでのGPCの成功は、
ケニア政府の積極的な広報と共にアフリカ全域にGPFを伝えるきっかけとなり、
多くのアフリカ諸国がGPF活動に関心を持つようになりました。

そして人口1億8000万のナイジェリアにGPF運動の勢いが広がっていたのです。

ナイジェリアは、世界10位圏の巨大産油国ですが、
キリスト教とイスラームが南北にそれぞれ半分に分かれて構成され、いつも深刻な宗教紛争にさらされて、数十年間、この問題を解決できずにいました。

ナイジェリアの指導者たちはGPFの超宗教ビジョンに解決策を求めました

最初、ナイジェリアにおけるGPF運動は、
ジョン・オコという非常に背の低い指導者の一人から出発しました。

インドネシアでも一人から出発して、NUのサイド総裁に連結されることにより驚異的なことが起こったように、
ナイジェリアでも同じ奇跡が起きました。

ナイジェリアでのGPF運動の扉を開いたのは、
ナイジェリア副大統領の令夫人サンボ女史でした。
この夫人に会うことによって、高速道路のように道が大きく開いたのです。

敬虔なイスラームの信仰をしているサンボ女史は、
顯進様に直接会ったこともないのにかかわらず、GPFのビジョンに深く感動し、物心両面でGPFがナイジェリアに定着できるように助けてくれました。自らGPFのビジョンを示す伝道師となったのです。

令夫人の招請によりナイジェリアを訪問した顯進様は
国際会議の基調演説を通して、
ナイジェリアが宗教間の内戦を終わらせ、アフリ力の発展をリードするためには、富ではなく、真実の道徳性が先ず回復されなければならないことを力説しました。

顯進様のスピーチは特に令夫人に深い感銘を与えました
以来、令夫人は顯進様を、単純な平和運動の指導者ではなく、天から神聖な使命を受けた指導者であると考えるようになりました。

この大会では、ケニア内戦の終息に寄与したGPFの功労を認める、
重要なUN賞の受賞式もありました
UNハビタットの責任を担っているライ博士とコムクラフトグループのチャンダリア会長が、この特別な賞を顯進様に贈呈しました。

つづく