顯進様は、2009年から2015年まで、
天宙史的葛藤のなか7年路程を歩んで来られました。
その証の続きです▼▼▼▼▼
19) パラグアイでの偉大なる挑戦
顯進様の活動舞台は全世界です。
特に、最も困難な問題のある所、最も住みにくい所、最も希望を必要とする所が、
まさに顯進様が行かなければならない所です。
ですから顯進様は、アフリカから再び南米の最貧国であるパラグアイに行って、
そこに理想村、理想国家を立てるための偉大なる挑戦に着手します。
顯進様はGPF活動を基盤に、パラグアイにJDPPSというシンクタンクを設立しました。
この研究機関は、パラグアイをモデル的国家に変革させることを目的として発足され、現在、パラグアイで最も権威ある研究所となりました。
IDPPSが着手した最初のプロジェクトは、
パラグアイで最も遅れた、貧しい地域であるチャコ地域を
GPFと共に、理想村に開発することでした。
20) カサドの奇跡、疎外された絶望の地で理想農園の夢がよみがえる
チャコ地域の中心であるカサドは、今まで絶望の地でした。
真の父母様がそこに理想村を建設しようとされましたが、
彼らは真の父母様の基盤さえも奪い、荒廃させました。
パラグアイ政府はこれを口実に、統一グループの土地を没収しようとしました。
この問題を解決するために、パラグアイに入られた顯進様は、
2008年にこの地域で、牛追いプロジェクトを直接実施されながら、
GPF運動を始めたのです。
彼らから、偽りの主人であると誤解も受けましたが、
魚を与えるより魚を捕まえる方法を教え、
絶えず意識啓蒙活動を展開してきました。
顯進様が立てたシンクタンクが共に協力し、
自力更生の道も模索しました。
このようにして約5年間にわたる努力の末、
カサドは奇跡の地として変わったのです。
雑草が茂っていた養殖場には再び水が満たされ、
多くの魚が育つようになりました。
地域の青年たちには仕事が提供されました。
21) 本当の主人を歓迎し、祝福家庭を州知事に
顯進様はこの変化した現場を視察するため、
2012年5月にシアトルから数十時間飛んでアスンシオンに到着し、
再び小さな軽飛行機に乗り換えて一時間飛び、
カサドという都市を訪問されました。
地域住民は、自分たちが追い出した本当の主人を暖かく歓迎しました。
人口6千人しかいないパラグアイ奥地の村カサドに、
一体何の価値があって顯進様はこのように長い距離を飛んできたのでしょうか。
それは、ここにお父様の夢が込められているからです。
世界から最も捨てられたこの場所に、
お父様は公館を建て、理想村を作ろうとされました。
その夢を息子が成就しようというのです。
世界のすべての奥地と貧困地域に希望を与えることのできるモデル村を作ろうとしているのです。
この夢は今、現実となって成されつつあります。
住民たちは、自分たちを導いてくれる真なる指導者を望んでいました。
ですからGPF運動を率いたマドレニ氏が州知事となることを望みました。
マドレニ氏は町長もやったことのない人でした。
しかし、選挙で奇跡が起きました。
その地域の古株の政治家を押しのけ、パラグアイで唯一の女性知事として当選したのです。
マドレニ氏は、
顯進様が最も大変だった時、顯進様を信じて一番厳しいところにもためらうことなく行き、誠実にGPF運動を率いた祝福家庭です。
マドレニ氏が当選した後、チャコ地域はパラグアイで最も清廉な州に変貌しました。
そして、マドレニ氏は、大統領がいつも賞賛する、最も模範的な州知事として活躍しています。
現在、アメリカの有名なシンクタンクであるヘリテージ財団は、
このカサド地域の変化事例に注目し始めました。
22) ラテンアメリカ・プレジデンシャルミッション(LAPM)の出発
顯進様は、南米で大きな青写真を描くため、非常に重要な布石を敷かれました。
それがまさに、南米国家元首の集まりである
ラテンアメリ力・プレジデンシャルミッション、LAPMです。
顯進様の構想は、道徳的で革新的な最高指導者を結集し、
南米全体を変革するというものです。
このLAPMは、
セレジョ・グアテマラ元大統領らが中心となって、
2011年にブラジルで結成大会をし、
2012年にアメリカ・アトランタGPCで公式的に発足されました。
そして、現在、約26人の元国家元首が参加しています。
彼らはどのような動機を持ってこの会議に参加しているのか、
ザモラ・ボリビア元大統領の言葉を見ればよくわかります。
彼は反対勢力からテロを二回も受け、顔に酷い傷を受けたほどまっすぐな人でした。
彼は、GPF運動に参加したのは、
GPFが提唱している目標に同意するからだ、ということを明らかにしました。
「私がこの使命に賛同したのは、GPFが提唱している目標に同意するからです。もし私がそれに心から同意しなければ、私はここにはいないでしょう。」(ザモラ・ボリビア元大統領)
23) ラテンアメリカ・プレジデンシャルミッション・パラグアイ大会
このように結成されたLAPMは、
2014年のパラグアイ大会を通して、その威容を現しました。
カルテス・パラグアイ現大統領と
LAPM会員として加入している14名の中南米元国家元首が参加しました。
彼らは顯進様の基調講演に耳を傾け、
開幕式の後には別の場所でパラグアイ大統領が同席する中、会話が続けられました。
特にこの時、力ルテス・パラグアイ大統領は、
顯進様の主張に対して心からの支持を表明し、
突発的な発言が出ても会話全体の内容を顯進様が主導できるように協力し、
大統領がどれほど顯進様を深く信頼し配慮しているのかを感じることができました。
この場面を目撃した韓国の指導者たちは、
どうしてこのようなことが起こるのか、ただ呆気に取られるだけでした。
韓国の有名な政治家であった故李ギテク総裁は
「韓国の若者が大韓民国だけでなく南米でもこのように大きな活動をしていたとは知らなかった」と語りながら、大きな衝撃を受けたという感想を述べました。
ヤン・チャンヨン韓国国会議員は
「多くの中南米首脳を招待し、指導者会議を主導しているのが韓国人であることに驚いた。彼はケネディに劣らない優れたスピーチと弁舌で大統領と気兼ねなく交流しているのを見て、すごい人だと感じた」と語りました。
顯進様の活動を取材するため、この大会に参加した有名なメディアの記者たちも、
顯進様をインタビューしながら「一体あなたの夢は何なのか。もしかしたら国連事務総長ではないのか」などと冗談半分の質問をするほど、驚きを禁じえませんでした。
つづく