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第2回MSMI国際セミナーでの基調演説(03)

2013年10月18日、ソウルで開催された
第2回MSMI国際セミナーでの基調演説(郭錠煥)
文鮮明先生の摂理史観と天一国創建時代の歴史認識

先回からの続き▼▼▼

 3. 真のお父様の路程(1920-1960)

文総裁は1920年に誕生されました。

16歳の時から神の期待と要請を受けられ、
独りで神のみ旨を成し遂げる為の個人的な準備路程を歩まれました。

その生きる姿は一般人と違わないのですが、
み旨の為の真心からの精誠と努力は、普通の人の道ではありませんでした。

1945年
世界史的な流れによって韓民族は日本の圧制から解放され、残酷な虐殺と悲劇を残した第二次世界大戦が終結することによって、民族的な転機を迎えるようになりました。
当時のキリスト教は
20世紀を代表する宗教として、神が復帰摂理の完成の為に準備した戦勝国の基盤と影響力を通して神のみ旨が成されるようにされたのです。

特に、北朝鮮の平壌は
神の聖霊役事が火のように起こり、信仰的に世界キリスト教の中心でしたが、
共産主義政権が本格的に始まった時期だったために、多くの人々が韓国に移動を始めていた状況でした。
それにも関わらず1946年5月に神の啓示に従い、総裁は
神が復帰摂理の為に準備したキリスト教の摂理的使命の相続を受ける為に
家族を南に残したまま、平壌への移動を敢行されたのです。

しかし不幸にも、平壌のキリスト教の教権勢力は、
総裁を陰湿に攻撃し、結局
1946年8月11日、北朝鮮共産党に逮捕され、約100日にわたり生死をさまよう拷問を受け、また
1948年2月22日から平壌刑務所に続いて興南監獄に送られ、地獄のような獄中生活の苦しみに遭われました。

そうする中、神が保護され、
6・25朝鮮戦争中に連合軍が興南監獄の獄門を開き、
収監2年8ヵ月後の
1950年10月14日に総裁は劇的に脱出され、
歩いて平壌を経て千辛万苦の末に釜山まで南下し、
世界キリスト教を統一できる基盤を準備されました。

部屋一間も準備するのが難しい釜山での出発でしたが、
啓示を受けて訪ねて来た少数の弟子と共に釜山と大邱を経てソウルに復帰摂理の為の根拠地を用意するようになりました。
総裁はその当時、既存のキリスト教から途方もない迫害を受けながらも、
1954年5月世界基督教統一神霊協会を設立されました。

これは単なる宗教的組織ではなく、
摂理の中心宗教であるキリスト教を一つに統一して神のみ旨を成し遂げる為の組織でした。
名前が長く特異であるため、協会を創立した初期には、人々が嘲笑したり、子供たちが看板に石を投げつけたりしましたが、総裁はこの組織を通してキリスト教が果たすことができなかった使命を成し遂げて、イエス・キリストを代身して再臨主の基盤を築く為に困難な路程を出発されたのです。

千辛万苦の苦難と困難を経験された土台の上で、総裁は
1960年4月に小さい統一教会という教会基盤を土台にして
韓鶴子女史と聖婚されることによって、真の父母として摂理的な生涯を出発されました。

総裁は1960年までの40年間、
キリスト教基盤を通して成さなければならなかった復帰摂理の第1次目標
彼らの反対によって成すことができなかった摂理を、
統一教会を基盤として韓鶴子女史と聖婚することにより、蕩減復帰する路程を経綸されたのです。

人間始祖が非原理的な愛によって誤り、神の理想が成就されなかったために、
人類を代表した一人の男性と一人の女性がアダムとエバの失敗を蕩減し
神の原理的な愛を中心に夫婦の因縁を結ぶことによって真の家庭を出発すること
神の創造理想実現の始まりとなるのです。

既に言及したように、
1920年の総裁の誕生から1960年の聖婚式に至るまでの40年間、
総裁はキリスト教を代身して地獄のどん底から独りで蕩減復帰し経綸されたのです。

言い換えると、総裁の40年間の蕩減復帰摂理過程は
ユダヤ人たちが失敗した4000年の旧約時代
基督教徒たちが失敗した新約時代の2000年復帰する期間であり、
聖婚式を通して決着がつけられるようになったのです。

(4. 真の父母様の路程(1960-2000))
につづく