文会長は、第三の内容において、
祝福家庭が答えるべき次の4つの根本的な質問を提示し、
その答えについて説明しました
(1) 摂理の中心は誰か
(2) メシアの使命は何か
(3) 真の父母様と真の家庭は誰か
(4) 祝福家庭の意義は何か
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真のお父様の天宙聖和式
文顯進会長のみ言(2012年9月15日)-3
(先回からのつづき)
現在経験している困難と混乱が、統一家内に発生した時、
わたしは、祝福中心家庭の皆さん個々人が、
4つの根本的な質問に答えなければならないと促しました。
もし皆さんがこの質問に答えられなければ、
皆さんは皆さん自身が誰なのか知らないことになります。
もし皆さんが自分自身が誰なのか、どういう存在なのか知らないなら、
真の父母様と真の家庭が何故必要なのか、
そして後天時代における、祝福中心家庭の意味が何なのかも
悟ることができないのです。
第1の質問として、
摂理の中心は誰ですか。
(神さまです)
神さまです。
祝福中心家庭がこういう内容をどれほど分かっていますか。
わたしの言葉ではありません。
真のお父様のみ言を読み、祈り、精誠を込めてみて下さい。
摂理の中心は誰ですか。
神さまです。
しかし、統一家において、
「真のお父様の摂理」、「真のお母様の摂理」、「この人の摂理」、「あの人の摂理」と言う人がどれほど多いでしょうか。
誰からそのように教えられたのですか。
摂理はただ一つだけであり、
神さまに由来するものだけです。
第2の質問は、
メシアの使命が何かということです。
特に、こんにちの統一家では、真の父母様を神格化してしまったため、
多くの混乱がもたらされていますが、
原理的な観点から見た、メシアの使命は何でしょうか。
私たちが、メシアを復帰されたアダムとして説明する理由は、
メシアが神さまの息子として、神さまのみ旨を完成する人物だからです。
神さまの長子であり、私たち人類の先祖であったアダムに抱いた、神さまの期待は、
成就することができませんでした。
それゆえ、原理的な摂理の観点では、
メシアの使命と役割は、
神さまのみ旨を成就する息子の姿に由来するのです。
ですからわたしは、この聖和式で、
真のお父様を、神さまの前に、真の孝子となる先例を立てられた方であることを、
明らかにしたいと思います。
第3の質問は、
真の父母様と真の家庭とは誰なのかということです。
わたしが初めて公職を始めた時、先輩家庭たちやUTSの教授たちに、こんな質問をしました。
「教理書である原理講論の中で、どの部分が最も重要な内容ですか」
すると、わたしの記憶では恐らく99%の人たちが、堕落論が自分たちに最も意味がある内容だと言いました。
わたしは「その部分は、わたしには最も憂鬱な内容だ」と言いました。
原理講論において最も重要な内容は、
第1章の創造原理です。
ここに、
人類歴史の始まりと共に、神さまの期待が説明されているからです。
聖書の最初の書である創世記に描写された神さまの期待は、
現代社会の人々も容易に理解でき、受け入れることができます。
神さまが、人間を創造しながら持った夢は何ですか。
その夢とは、
神さまの下の人類一家族を成すことであり、
他の言葉で言えば、最初の家庭として、
神さまを中心した四位基台を完成することです。
そういう状況において、真の父母様が出現した意味は、
第2番目に質問した、メシアの使命から始まるのです。
真の家庭は、神さまが留まることができる、人類の根本的で実体的な単位です。
そういう理解があってこそ、
三大王権と四大心情圏を理解することができます。
また、このような概念がある場合にのみ、
「家庭は愛の学校」という言葉を理解することができます。
この言葉は、ほとんど古臭い掛け声のように聞こえますが、
そこにはすべての概念と共に、
根本的な真理が含まれているのです。
私が UTSに通っている時、真のお父様が、三大王権と四大心情圏に関して語られました。
わたしには、教授たちが、そういう内容を分かっているのか、疑問でした。
わたしがUTSに行った理由は、真のお父様にそう言われたからですが、
わたしは既に大学時代に、あれこれと哲学や神学を勉強しました。
実際にわたしは、カトリックの大学で神学を学びました。
プロテスタントの神学者たちと違って、カトリックの神学者たちは非常に厳格でしたから、多くの内容を勉強することができました。
その方たち(UTS教授たち)の大多数が、基督教的経験という観点から、メシアの使命に関して話していました。
また、多くの方が、これまでの宗教的な言行と経験から、救援に関して話しました。
皆さんは、根本的な違いを理解しなければなりません。
大部分の宗教が提示する救援の約束とは何かというと、
それは個人段階の救援です。
宗教が出てきて以来、家庭段階の救援に対する概念は全くありませんでした。
それゆえ皆さんは、
真の父母様の出現と真の家庭の形成を通じて、
実体的な人類の救援が出てくるようになったということと、
そこには地軸を揺るがすような、
革命的啓示があるという事実を、理解しなければなりません。
しかし教授たちからは、私たちが宗教界で活躍できるこの輝かしい宝物に関して、全く何の糸口も見つけられませんでした。
これは基督教、ユダヤ教、イスラームといったアブラハム系の宗教だけでなく、
仏教などすべての宗教に通じる内容です。
真理は、非常に本能的で直観的なのです。
真理は極めて奥深いのです。
わたしは、統一家の人々が、地位というものを重要視するという事実を知っています。
そのため、真のお父様をメシア、再臨主と言えば、それが即ち、お父様に栄光を捧げることだと思っています。
それゆえ、わたしは教授たちに、統一家の間違った心理的要素を指摘し、こういう呼称(メシア、再臨主)は、それほど重要ではないと説明しました。
実際的にも、私たちが「メシア」という用語を使っても、聞く人がどういう信仰を持っているのかによって、それぞれ異なった意味で受け入れられているのです。
私たちが「メシア」という言葉を使う時は、基督教の方式とはかなり違います。
基督教内でも各宗派によって、「メシア」という用語には、非常に違った様々な解釈があります。
それはまた、ユダヤ人たちが使う「メシア」という概念とも完全に違います。
それでわたしは教授たちに、「何故私たちが、そのようにボロをべたべたと縫い付けたような用語を使わなければならないのでしょうか。ボロがない真の父母様と言う用語を使ってはいけないのでしょうか」と言いました。
これは今まで、ただの一度も使われたことがない言葉です。
「真の父母様と真の家庭の出現」と言えば、
既存の固定された概念に妨害されずに、
真の家庭の意味を適切に説明することができます。
皆さんはきょうこの場で、たとえ詳細な説明がないとしても、
真の父母様と真の家庭の出現が、
人類に対する救援についての概念を説明するにおいて、
完全に、新しい先例となる内容だ、という事実を知らなければなりません。
それだけではありません。
これは救援を、
ただ単に全く違った世界で起きている神話的な事件としてではなく、
実質的な計画が、具体的に実現する事件として説明することができるのです。
これは、
私たちが持っている信仰に対する理解の枠を、
完全に変えてしまいます。
そして、その中で救援は、皆さんにとって、
人類が実現することのできる約束として、
希望と抱負を持たせてくれます。
それゆえ、
真の父母様の出現は、
本当におびただしい祝福が到来する時代を表わしているのです。
私の話しが、とても神学的な方向に傾いたようですね。
しかし、わたしがこういう説明をした時に、
大部分の宗教指導者たちは、どの宗教や教団から来たかに関わらず、皆、心良く受け入れました。
「神さまの下の一家族」には、このような内容が含まれているのです
要約すると、
真の父母様と真の家庭の出現は、
普遍的な救援の約束と、そのための実質的な計画をもたらすことであり、
これは私たちが住んでいるこの世を変化させる力を持っているということです。
真の父母様、特に真のお父様の生涯のレガシー(遺産)の最も偉大な証しは、
息子と娘が、お父様と同一の夢に感動して、主人意識を持ち、
彼らの生き方の中でこの夢を現実にし、
私たちが住んでいるこの世界を変化させることです。
それが、祝福に盛り込まれている意味です。
第4の質問は、
「祝福家庭になる」という意味は何かということです。
皆さんは、この真の生命の木への接ぎ木を受けました。
それゆえ祝福中心家庭として、善の四位基台を成し、
三大王権と四大心情圏を実現する時、皆さんの家庭を通じて、
霊的な世界だけではなく、この地上に実質的な変化が起きるでしょう。
ですから、
皆さんは、5%の責任分担の重要さを理解しなければなりません。
神さまもこれをなさることができません。
真の父母様が、皆さんに祝福を下さいましたが、
真のお父様も皆さんの責任分担をなさることができません。
皆さん自身が責任を果たさなければなりません。
わたしが昨年発表した公開書信において、
祝福中心家庭の責任について、何と説明しましたか。
2006年の天正宮開館式の行事において、
真のお父様が祝福中心家庭に語られたみ言は、
計り知れない祝福であると同時に、
警告でした。
そのみ言の中で真のお父様は、
後天時代の重要さに対して強調されました。
そして、この時代は、真のお父様が、神さまの代身の立場で導いてこられた、蕩減による救援の時代とはまったく違う、と語られました。
真のお父様は、祝福家庭に次のように語られました。
その時代には、皆さんが責任を負うべきことも私がしてあげ、皆さんの失敗も全て私が背負いました。しかし、この天正宮開館式以後には、特にこの後天時代と共に、皆さん個人が責任を負い、皆さんの家庭と氏族が天の前に責任を果たす時代です。
真のお父様は、皆さんが、
天一国市民としての資格が必要だと説明されました。
そして、真のお父様は、
市民としての基準を語られました。
それが祝福中心家庭の皆さんには、極めて重要です。
何故なら、これが、
祝福中心家庭の皆さんの責任と直結しているからです。
何よりも皆さんのアイデンティティは、
この時代において、神さまと人類の前に、皆さんの責任が何かという面で、さらに重要です。
最も重要な暗示は、5%の責任分担の重要性です。
皆さんは、真のお父様は、
復帰されたアダムの生き方を貫いてこられたために、5%の責任分担からの(除外された)例外だと思いますか、それとも、
神さまと天と人類の前で、真のお父様もやはり5%の責任分担を持っておられると思いますか。
真のお母様はどうですか。
真の家庭のすべての構成員たちは、どうでしょうか。
皆さんはどうですか。
神さまの実体的な王国を実現する為に、
私たち全員が地位の上下を問わず、人種を問わず、肌の色を問わず、宗派を問わず、
神さまと全人類の前に、責任があります。
祝福中心家庭の皆さんに申し上げます。
苦労しながら努力して受けたのであれ、成り行きで受けたのであれ、
皆さんと皆さんの家庭は、
天からおびただしい祝福を受けました。
しかし祝福は、
皆さんの為に与えられたのではありません。
ところで私が理解できないことは、
先祖解怨についての概念です。
皆さんの信仰が、ただ単に皆さんの氏族の救援に根拠を置いているのなら、
真の愛の基準、真の愛の価値体系、そして天を治める普遍的な原理を、
皆さんがどのように具現できるでしょうか。
特に日本の食口たちは、
信仰の成熟度が、どのくらいでしょうか。
そういうタイプの信仰を、神さまが認めるでしょうか。
蕩減を通じた復帰時代には、条件を立てることによって認められることができたでしょうが、今は皆さんが成熟した息子と娘にならなければならない後天時代です。
それなのに、
それがどのようにして条件となることができるでしょうか。
成熟した息子と娘は、
自分自身の富貴、または自分の家族の富貴、自分の氏族の富貴と救援を祈る為に信仰生活をせず、その反対に
他人の救援や、最も大きくは人類の救援の為に自分自身を犠牲にします。
統一家に存在する文化的な構造のために、そういう幼稚でおめでたい信仰を利用した煽動が為されているのです。
それは他者を排除して、自分自身の救援と自分の家族の救援と、自分の氏族の救援にだけ焦点を置いているのです。
誰がそういう人を、
アベルの位置にあって、アベルの心情を持っていると見なすでしょうか。
真のアベルなら、
カインの生命の為に自分の生命を捧げ、
カインの家族の為に自分の家族を犠牲にし、
カインの氏族の為に自分の氏族を犠牲にします。
それだけが真の勝利の道であり、真の解怨がもたらされる道です。
統一家に何が起きたのでしょうか。
第一に、神さまの摂理を踏みにじって、教会を建てることが摂理だと言い、
天の基準とその根になる信仰を踏みにじって、他者を排除して、
自分自身と自分の家族と、自分の氏族の救援へと逆行し、
それを真のお父様のレガシー、と主張しています。
もしそうなら、それは
神さまの摂理とは、何の関係もありません。
人類の実体的な救援とは、何の関係もありません。
簡単に言うと、それは
この地に、実体的な天の王国を建設することと、何の、関係もないのです。
それがこんにち、統一家で起きていることを、
天宙的な葛藤として理解しなければならない理由です。
わたしはこれを、
財産をめぐる葛藤とか、単純に政策の方向性についての葛藤とは見ていません。
わたしはこれが、
お父様の血と汗と涙によって成就した神さまの勝利を、正しく説明するためには、
何が根本的な核心なのかを問う、
天宙的な葛藤、と見ているのです。
そしてこれが、私が言うレガシーの意味です。
もし皆さんが、この4つの根本的な質問に答えることができなければ、
皆さんは全く基本が出来ておらず、
皆さん自身が誰なのか、何をする人なのか、
どこに進みつつあるのかさえ、分かっていない無知な人であり、
結局は滅亡の道に行くようになるでしょう。
(つぎにつづきます)