2010年顯進様の訓読会メッセージ
(先回からの続き)
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□ ケニア KENYA
わたしは今も、
絶対的な信念と信頼、従順の道理から
神さまの理想に従っています。
わたしが変わったことは、一つもありません。
人々がわたしを、統一教会の信徒として規定しようが、
さもなければこれ以上必要ないとしてわたしを、教会から放逐しようが、
わたしの心と基準は、それと何らの関係もなく、変わることがないのです。
わたしのお父様は、あまりにも明らかで卓越したみ言葉を下さいました。
お父様は、統一教会時代が終わった、と明らかに語っておられ、
それは、摂理的に、その時代が過ぎ去ったためでした。
その時代が過ぎ去ったために、お父様は
統一教会時代を終了し、家庭連合時代を開いたのです。
お父様は生涯を通して、ご自身ではなく、
神さまに栄光を帰してこられた方でした。
平和メッセージを始めとするお父様のすべての教えは、
神さまが摂理の中心であることを、明確にしています。
ですから、ご自身の生涯において、最も感激的な瞬間は
2001年1月13日の、
歴史的にしこりを残してきた神さまの恨を
解放させてさしあげた
神様王権即位式行事でした。
この姿が、神さまのみ旨を成し遂げてさしあげようとする真のアダム、
真の息子の姿です。
ところで、その同じ方がある日、
縦的な摂理の軸とは関係ない、教会組職にだけ関心のある方として映し出されているとしたら、この状況を、どのように理解すべきでしょうか。
真の父母様を通して守られてきた、神さまのみ旨と
摂理的な基準と期待が、変わったということですか。
わたしは、命をかけることのできる人です。
たとえわたしが、家族と兄弟から、破壊者として追われ審判されるかも知れないとしても、わたしは、
神さまのみ旨と理想を成し遂げるチャンピオンになる道を、
行くでしょう。
神さまと真の父母様、真の家庭の縦的な伝統と期待を、必ず、
守り抜くでしょう。
これが、わたしの信念と同時に、確信です。
このためにわたしは、
開拓と荒野の道を歩んでいくでしょう。
***
わたしは 2007年を出発しながら、
お父様の指示を受けて、アメリカのキリスト教教会を巡回しました。
わたしが「神さまの下の一家族」を一つのモットーにして進んだのは、
正にその時からです。
わたしは当時、最初の訪問先である
ロサンジェルスのキリスト教の教会で、この言葉を初めて使いました。
その所には、多くの宗教と教派から訪ねて来た宗教指導者たちが集まっていました。
わたしは、5分あまりも言葉を忘れて、
聴衆たちを眺めていました。
そして、その場にいた一人ひとりと共に、
神さまの下の一家族、を叫び、
進んだのです。
このみ言葉の中には、
神さまの摂理を実体化する、
革新的な内容が、すべて入っています。
お父様が生涯をかけて残した、数百巻のみ言葉の内容を一言で整理する時、
これほど正確な表現が他に、何処に、あるでしょうか。
***
わたしは、ケニア政府が見せてくれた小さな措置に対し、
大きな感動を、受けました。
ケニアとエチオピアの大統領が、GPC 国際会議場に入場する際、
大統領警護要員たちは、国家儀典に従って、
わたしが傍らに離れて入場するのを望みました。
ところが、これに気づいたキバキ(ケニア)大統領は、
警護員たちの行動を制止し、
わたしがお二人と並んで入場するように配慮してくれました。
大統領がこの行事の価値を、どれほど、重要に思っているのかを
見せてくれたのです。
その方は行事場所の最前列に、
ケニア政府のすべての長官と次官たちを参加させました。
壇上には大統領だけでなく、首相、副統領まで一緒に座っていました。
単一の行事に、それも非営利団体(NGO)が主管した行事にも政府の全指導者たちが同席した例は、ケニアの歴史に、
なかったのです。
与党と野党の両代表指導者が、神さまの下の一家族の理想と
ビジョンを中心として、一つになっていることを見せてくれた、
歴史的な瞬間でした。
アフリカを初めて訪問した時、わたしは
自然の豊かさと美しさに魅了されました。
しかし、アフリカの人々は依然として、困難に苦しんでいます。
それは即ち、リーダーシップにおいてアフリカを導くことができる、
適合した方向性において解決しなければならない、課題が
多い、ということを意味しています。
このような立場からわたしは、今回の行事(GPC)を、
歴史的なもの、と認識しています。
国家次元で、神さまのみ旨と理想が、
新たに定着する、記念碑的な出発でした。
もし、お金や権力ではなく、
道徳的で革新的な真のリーダーシップによって、
この国が導かれるなら、ケニアは、
新たに、誕生するようになるであろうし、
世界の権力の中心であるアメリカさえも、導くようになるかも知れません。
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