顯進様は、2009年から2015年まで、
天宙史的葛藤のなか7年路程を歩んで来られました。
その証の続きです▼
04) 世界最高の指導者たちを魅了する
この神様の下の人類ー家族のビジョンは、
世界最高の指導者と有名人までも虜にしました。
ブラジル最大のプロテスタント教団であるアッセンブリー・オブ・ゴッド教会を建て、南北アメリカ大陸に1千万人以上の信徒を率いているマノエル・フェレイラ牧師は、
2008年4月、顯進様に初めて会い、一時間ほどの説明を聞いて、大変な感動を受けました。以来、彼は「私のすべての基盤は、文会長、あなたのものだ」と語るほど、顯進様の最も心強い後援者となりました。
アメリカの代表的なクリスチャンの家門の末裔であるロバート・シュラー牧師も、
2008年から顯進様のGPF運動に参加し、アメリカ最高のクリスチャンの家門の2世を顯進様に連結するという約束を守ってきました。
彼の告白によれば、最初から顯進様と志を共にしていたわけではありませんでした。
ところが、2008年12月、フェレイラ牧師が誘致したブラジルGPF大会に参加し、
大きな感銘を受けて決心したのです。
顯進様が主張する神様の下の人類一家族のビジョンは、
宗教指導者だけでなく、
政治、経済、学界、市民社会など、
あらゆる分野の指導者の支持と参加をもたらしました。
マレーシアのマハティール元首相、
パラグアイのリリアン・コロラド党党首、
ケニアのオディンガ首相、
フィリピン最大の新聞社であるマニラ・ブレティンのヤップ会長、
世界的なボクシング神話の主人公、パッキャオ・フィリピン上院議員、
冷戦終結の主役イギリスのマーガレット・サッチャー元首相など、
全員を列挙することができないほどの多くの指導者が
このビジョンに感銘を受け、惜しみない支持と声援を送りました。
05) 摂理の大役事、行く先々で大成功
このような人達の協力と共に、2008年度に全世界でGPFの風が吹き、
摂理の大役事を起こし、行く先々で大成功しました。
その中でも、2008年GPF大会の最初のテープを切ったパラグアイGPF大会は、
統一運動の成功神話を新たに書き換えた驚くべき勝利でした。
最悪の状況で最大の勝利を収めたからであり、
その時の逸話は、いまだに伝説のように広く伝えられています。
多くの話がありますが、二つだけ紹介したいと思います。
2008年1月、お父様は、
最悪の状況に迫られているパラグアイ摂理を救うという特命を
顯進様に下さいました。
お父様は、パラグアイを南米の子宮として祝福し、
直接奥地に入って精誠を尽くされましたが、
パラグアイ政府と大統領は、統一運動を追い出し、
真の父母様が投資された数十万ヘクタールの広大な土地を没収する計画まで進めていました。
このような状況で顯進様は、パラグアイの大統領と直接対面し、
2時間近くの激論の末、大統領の考えを変え、お父様の土地を守ってました。
それだけでなく、南米の摂理を大きく発展させることのできる転機をもたらしました。
どれほど手に汗を握る議論であったか、
当時、隣に同席していたブッシュ元米大統領の弟であるニール・ブッシュ氏が驚嘆するほどであり、
顯進様の執拗な説得力に感服したと言います。
現実的に見れば、最大の危機をやっと免れたパラグアイで
GPF大会をするということは、できるものではありませんでした。
しかし、顯進様は摂理的な視点を持って大胆な決定を下されました。
パラグアイで2008年最初のGPF大会を開催するということでした。
準備期間はわずか3カ月でした。
これはまるで韓国動乱での仁川上陸作戦のように、
最も不可能な地域で最大の勝利を収めるという顯進様特有の勝負であり、
パラグアイが変われば世界が変わるという逆転の発想の戦略でした。
パラグアイGPF大会の成功のため、顯進様は
南米全体を魅了するプロジェクトを進めます。
それは牛追いのイベント、
つまりキヤトルドライブ・プロジェクトでした。
パラグアイ最高の上流階級の子弟たちと、最下層の牛追いの人たちが共に牛を率いて、数日間、非常に痩せた土地の奥地を横断して、牛を移動させるプロジェクトでした。
南米サッカーの英雄チラベルト氏も共に参加しました。
これは誰にも想像できない発想でした。
顯進様はその国の人たちと彼らが住んでいる土地を愛するために、
直接、彼らと共に過ごそうとされたのです。
この一回のイベントのゆえに顯進様は一躍有名となり、
パラグアイの国民の心を魅了しました。
そして、中南米圏全体に
顯進様がどのような人なのかを確実に印象づけるきっかけとなりました。
それこそ、神の一手だったのです。
このような背景と共に、パラグアイGPF大会は
驚くべき成果をおさめて幕を閉じました。
ところが、このイベントに孫と共に参加したフェレイラ牧師は、
GPF大会にとても感動したあまり、3万大の聴衆の前で驚きの宣言をしました。
その年の12月にブラジルでGPF大会を開催するというものでした。
フェレイラ牧師はこの約束を期待以上に守りました。
すべての準備をフェレイラ牧師のアッセンブリー・オブ・ゴッド教会が引き受け、
費用まで全部負担しました。
果たして何人の聴衆が集まるだろうかと不安でしたが、
会場に入る瞬間、ネルソン・スタジアムに集まった15,000人の聴衆の歓声に完全に圧倒されました。
彼らに向かって顯進様は
神様の下の人類一家族のビジョンを叫ばれました。
世界各地でGPF大会が成功を重ねる中、
イスラーム国家であるマレーシアで
歴史的な大会が開催されました。
これは統一運動の歴史におけるまた新しい出来事でした。
One Family under Godのビジョンが
果たしてイスラーム圏で通じるのか、
One Family under Godでは なく
One Family under Allahにしなければならないのではないか、
などと心配する人もいましたが、それは考えすぎでした。
宗教的壁を越えて、彼らはクリスチャンに劣らずこのビジョンに深く呼応し、
キリスト教圏から参加した指導者たちはこの場面を目撃し、
普遍的ビジョンと価値を中心とした
新しい超宗教運動の可能性を見ることとなったのです。
06) 「顯進がついにイスラー厶圏の扉を開けた」
マレーシア大会を終えて韓国に帰ってきた顯進様は、
真の父母様に勝利の報告をするために、束草を訪れました。
その時、お父様は昼食もとられず顯進様を待たれ、
顯進様がお父様に挨拶をされると
「顯進がついにイスラーム圏の扉を開けた」
と非常に喜ばれました。
このように全世界から聞こえてくるGPFの摂理的成果は、
真のお父様にとって最高の喜びでした。
つづく