ほとんどの食口が余り知らない統一運動の分裂の様子を
直接目撃し、確認することができた
ハワード・セルフ氏
(彼は米国で半世紀近く統一運動の食口であり指導者として生きてきた)
彼が、この書信で
本人の直接の経験と具体的な資料をもとに、
会員にその真実を伝える。
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▽▼つづき
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全世界の統一運動会員、平和大使、そして主要国の指導者に送る書信
(2020年9月20日)
危惧していた通り、
協会から家庭連合への大変革は、
従来の教会体制に固執する指導者たちにとっては
脅威として受け止められました。
自らの権限と特権を失うことを恐れた教団指導者たちは
改革を妨げ、
運動を分権化しようとする努力を
弱体化させようという試みに出ました。
彼らはメンバーに対する統制権を維持する目的で、
自分たちが文師の権威を代表しているため、
メンバーは自分たちの指示に従わなければならないと主張しながら
誤った伝統を押し立てました。
そのような非原理的というべきリーダーシップは、
各個人と家庭とがそれぞれの責任を遂行して
内在された価値を発揮し神の摂理に寄与するという、
家庭連合時代の意図と精神とは相反するものでした。
当時、教団指導者が直面していた3つの根本的課題は、どれも、
文師がすでに認めた文会長の霊的権威に関連していました。
第一に、後継問題ですが、
それは天と文師の観点から見る時、
すでに1998年に解決された問題であり、
彼らが統制することも、影響を与えることもできない事案でした。
第二に、文会長は世界的な統一運動を主導するにあたり、
父・文師の改革に対する意図を誠実に汲み取り、実行していたという点です。
第三の問題は、全世界のメンバーが、
文会長の姿から溢れ出る途方もないエネルギー、希望、ビジョンに呼応し、
文会長を熱烈に支持していたことでした。
彼が2008年までに達成した前例のない成功は、
指導者たちにとっては脅威として映りました。
彼は原理に立脚し、
個人の責任の完遂と人類一家族の実現を強調し、
統一運動の文化に変革をもたらしていたのです。
その結果、全世界の統一運動、
とりわけ新しい世代の若いメンバーたちは、
高揚していくエネルギーを体験し、希望と誇りとを感じ取っていました。
しかしあろうことか、
指導者たちは、
文会長が主導していた改革と変革を弱体化させるために、
いびつな神学をその基盤として用いたのです。
彼らが40年以上にわたって築いた「教会的な体制」ゆえに、
殆どのメンバーは彼らの言葉に依存しており、
彼らが「真の父母様の指示」と言えば容易に信じ込むように仕向けられていました。
教会の階層構造は、
「アベル型人物」(=中心者)への服従を強調する文化によって補強されましたが、
この「アベル型人物」とは即ち、既存の統制を維持しようとした当の指導者グループを指すものだったのです。
このように官僚化された指導者によって
「フィルターにかけられた情報」への依存度は、特に、
原文である韓国語が分からない世界中のメンバーにとってはさらに顕著でした。
彼らは翻訳者を通してしか、文師の指導内容を理解できなかったからです。
文師は
すべての指導者、並びにメンバーたちに
文会長と一つとなり、彼を支えなければならないと言いましたが、
指導者たちは
「第4アダム」の重要性と、文師の指示とを
メンバーに正しく伝える代わりに、不遜にも、第4アダムの権威が
彼ら自身に同じく賦与されていると強調しました。
歴史的記録が示す通り、これら指導者たちは
文会長のリーダーシップを弱体化させるために、
ますます非原理的な行動に出るのです。
善良ながらも純真であったメンバーたちもまた、意図的に歪曲された観点から、新しい時代を理解するようになりました。
こうした全面的な反対にもかかわらず、文会長は
統一運動を、その摂理的目標に沿って主導するために尽力し続けました。
が、このような機運の拡大を、
自分たちの野望に対するさらなる脅威と見る人々もいたのです。
既得権をもった指導者たちは、
自らの権限や特権の現状維持を願っていましたが、
文会長の改革を阻止するのに十分な力を持ち合わせてはいませんでした。
そうして2005年頃、
文会長を弱体化させようと試みてきたグループは、
この運動を主導したいという独自の野心を抱いていた文師の家族数人との間に共通の利害関係を見いだすのです。
彼らはそれ以後結託し、
まったく新しい次元において、文会長に対する攻撃を始めていきました。
筆舌し難い衝撃的な事実は、
文会長を統一運動の指導部から追放しようとするこれらの試みの背後に、
文会長の実の弟である亨進(ショーン)、國進(ジャスティン)、ならびに姉の仁進(タティアナ)の支持を受けた実の母、韓鶴子夫人がいたことでした。
ほとんどのメンバーは、韓夫人が夫の文師と完全に一体となっていたと信じていましたが、実のところ、
文師と韓夫人との間の不一致こそが、
この分裂をもたらすことを可能にした核心要因だったのです。
韓夫人は常にすべてのメンバーから慕われ愛されてきた人物であり、
韓夫人自身、文師と完全に一つとなることが自らの摂理的役割の中心であることをよく理解していました。
文師の核心的使命は、真の家庭理想を定着させ、
真の父母と真の家庭の先例を立てることでした。
真の家庭は天の基準と秩序を立てなければならず、
そのためには家族一人ひとりが各自の責任を果たすことが求められます。
家庭において妻・母の役割はとても大切であり、
特に家庭の伝統を確立し、
ある世代から次の世代への移行を円滑に行う上では
極めて重要にならざるを得ません。
文師は、「真の母」の最も重要な責任について、
何よりもすべての子女たちを父と一つとなるように導き、
その上で自身が後継者として任命した第4アダムと一つにすることだ
と明らかにしていました。
しかし、悲しいかな、
韓夫人はこの核心的な責任を果たせず、
実の息子である文会長に対し
積極的に対抗する動きを始めるようになるのです。
韓夫人と3人の子女たちの動機は、
時間の経過と共に彼ら自身の行動によって明らかになっていきました。
偽りの霊媒師に惑わされた韓夫人は、自らを
文師よりも優れた、その時代の真のメシヤ的人物と見なすようになりました。
結果、文師の後継計画を
支持するのではなく、むしろ積極的にそれを覆し始めました。
無論、彼女の見解にかかわらず、
父系の伝統と統一運動の教えのもとでは、
彼女が第3アダムである文師に取って代わることも、
正当に任命された後継者を合法的に置き換えることもできません。
したがって、まずは真の後継者の正統性をなくすために、
彼女は統一運動のメンバーの目から見て文会長の代わりと見えるような
「身代わり」を必要としました。
彼女は、密かな野心を抱く末息子のショーン(亨進)の中に、これを共に進める意思があることを探知します。
彼であれば自分の意のままになると誤信した韓夫人は、彼を兄に変わる後継者として押し立てながら、統一運動のさまざまな機関を舞台裏から操作するようになるのです。
文師が92歳で逝去されると、
韓夫人は公に自身が「独生女」(OBD、Only Begotten Daughter)であると宣言し、
統一運動全般に対して直接指揮をとるようになりました。
韓夫人は自分自身を神的存在として思い描き、
予てより「神の妻」であると主張していました。
韓夫人の新たな「独生女神学」は、
文師の基本的な教えである統一原理、
並びに聖書の伝統的教えとは全くの対極にあります。
これらの聖典と伝統によればメシヤは男性であり、
アダム格人物にほかなりません。
そこには「独生女」という概念もなければ、
自らを「神の妻」と呼ぶことは非原理的であることを越え、冒涜と言わざるを得ません。
文師は統一原理を通して、
メシヤをも含め人間が神であることは決してないことを示すために、
相当の分量をその説明に割いています。
韓夫人の発言はまた、2012年、逝去する前に文師が韓国において開催された世界平和女性連合の行事で、1万名を超える群衆の前で次のように述べた理由を理解するのにも役立つでしょう。
「オモニ(母)はいません、文総裁の妻の位置もありません。自分勝手にやっている、自分勝手に!」
ショーン(亨進)と他の兄弟たちの動機は、単純な野心と貪欲にありました。
彼らの嫉妬心は、創世記に記されたヨセフとその兄弟たちの話に似ています。
その誤った動機は、実の兄を文師の後継者として認め、兄が主導する摂理活動を助けることを妨げました。
彼らは真の家庭の一員であることを自覚しながらも、それに伴う摂理的責任について理解しようとする霊的成熟度を欠いていました。
彼らは自分たちが統一運動の資産を受け取る資格があるものと信じ、その「分け前」を得ることを願ったのです。
彼らはまた、文師の後継者として振る舞うショーンの非正統的な主張を、母が継続的に支持してくれるものと安易に考えていました。
彼らは文師が亡くなって間もなく、韓夫人が自分たちを退けたことを知ったとき初めて、自分たちがとんでもない計算違いをしていたことに気付いたのです。
指導者たちの計略は、
真の家庭、特に第4アダムの権限を剥奪することであり、
それは依然、変わっていません。
彼らが繰り返し示してきたように、彼らは自分たち自身が霊的権威を持つにふさわしい者であると誤認しています。
彼らの見解は、教皇と司祭階級がイエスの後に最高権威となったカトリック教会のモデルに基づいています。
言うまでもなく、そのモデルは文師が統一運動において意図したものとは、遥かに懸け離れていました。
文師は常に、血統とレガシーの重要性を強調してきたからです。
文会長を追放するために彼らがとった手段は単純なものでした。
統一運動内の主要な組織を法的に統制し、
それらを用いて文会長に対する法的、並びにその他の攻撃を加えるというものでした。
運動内の主要組織の支配権を得るために、彼らは
老衰していく文師の健康状態までも利用し得る手段としました。
人生最後の数年間、文師は
体調悪化のため、韓国清平にある統一運動の巨大宮殿施設に文字通り隔離されました。
そこで彼らは、韓夫人に忠実なスタッフと警備員を用い、文師との接触を完全に統制したのです。
彼らはまた、常にすべてのメンバーが参加できる機会であった文師主管の「訓読会」(毎朝のみ言訓読集会)への参加資格を制限しました。
これらの集会は本来、常にビデオ録画され、世界中のメンバーがアクセスできるようになっていましたが、これも一切の公式的通知や説明なく、突如中断されたのです。
しかし、文師の訓読会に直接参加した人々(主に韓国のメンバー)は、
これらの集会が突然、検閲の対象とされたやましい理由をよく分かっていました。
彼らは数年間、文師が韓夫人や他の指導者に対し、文師の指示に従わず、自分勝手に行っていると激しく叱りつけるのを見聞きしていたからです。
さらに、文師はしばしば文会長の活動を称賛し、また彼の名を呼ばれたりもしました。
文師が自らの強い意見を表明することが多くなることで、
韓国メンバーの間には波紋が広がっていきました。
言うまでもなく、これは文会長を潰そうとする勢力の計画に逆行するものでした。
それゆえに、彼らは文師に対する規制を強化し、訓読会関連の資料公開を全面的に中断しました。
さらに、韓夫人はすでに印刷され、普及された文師のみ言選集を回収。
文会長に関する肯定的な発言や、韓夫人や指導グループに対する否定的な言及は取り除かれました。
徒党を組んだ指導者グループ(以下、教権グループ)は、時には文師に偽りの報告をし、文師からの承認獲得を試み、自らの行動を隠蔽することもありました。
それは言わば、高齢者虐待にあたるものでした。
文師は数年間、将来は自分もすべての人と同じく、高齢ゆえに「子どものようになるだろう」と、公然と語っていました。
そのため、文師は78歳を迎えた年に文会長を後継者として公認し、統一運動に対する全権を与え、事あるごとに運動全体に対して自身の願いをはっきりさせてきたのです。
2005年から2012年にかけ、文会長を潰そうとする試みは次の通りでした。
高齢の文師を、文会長や彼に忠実な人々から隔離し、孤立させること
主要組織の合法的奪取を組織的に行うこと
自らの非正統的な体制への支持を固めながら文会長に対する世界的な人格殺人キャンペーンを実行すること
文会長とその支持者に対する訴訟を起こすこと
です。
そのような行動は、統一運動の歴史に前例のないものであり、
文師と文会長が共に堅持する原理的で敬虔なリーダーシップとは、まったく相反するものでした。
このように高度に組織化され練り上げられた策略は、
文師が最も衰弱していった期間、晩年の時期に、極めて卑劣な方法で実行されました。
文会長は入院中の父親との面会を妨げられ、
2012年には実の父親の葬儀(聖和式)に出席することさえも物理的に阻まれました。
卑劣な侮辱の極みとして、文会長と彼の家族の名は、公開された文家の遺族名簿からも削除されたのです!
今日まで続くこうした攻撃は、天の視点からみれば犯罪にほかならず、
文師や文会長、そして全統一運動に対する背信行為にほかなりません。
つづく